2018年03月23日
古井由吉とつげ義春

古井由吉の『鐘の渡り』の世界観が
つげ義春の『貧困旅行記』と通じるものがあると思うのは
わたしだけだろうか。特に鉱泉宿探しのあたり。
なんの確証もないのだけれど。
『貧困旅行記』を読み直して、うぅやっぱりおもしろいと唸って、
そんなテンションで姉にすすめたら、ノンフィクションには
興味ないと手にもとらなかった。
懐かしい街並みや鄙びた場所が好きなのはわたしと同じなのに
文字の世界は共有できないのか。
わたしは紀行文やエッセイ、専門書をよく読む。ごくまれに小説も。
ビジネス書とシリアスな小説はほとんど手に取らないが、まったく逆の人もいる。
ビジネス書しか読まない人、話題の小説だけは読む人等々・・・
文字の嗜好は顕著に分かれるのものだなとしみじみ思う。
ある時、初対面の人からどんな本を読むか聞かれて、「今は図書館で借りたエッセイと雑草の図鑑と塩に関する専門書が手元にある」と答えると、取り合わせが不思議だったらしく、なぜそれらを借りたのかと質問攻めにされた。
ぴんときたものを手に取っただけなのだが、改めて考えると理に適った生き方への憧れがあるからだと自身でも無自覚だった願望に気づかされた。
雑草の本に関していえば、雑草にはその地味な姿からは想像もできないような多様性や効能があって、環境の指標になったり、扱い方次第でとても有用なものになる。昔ながらの知恵は非常に理に適ったもので、人々の暮らしの中に息づいて身体や自然との調和を保っていた。知れば知るほど奥深い。
と、まあこんな感じで、わたしには繋がってみえることも他者からは突拍子もないことにみえる。逆も然り。その人だからこそ繋ぎあわせることができる世界がある。異なる感性に触れることで新しい繋ぎあわせ方を知る。
だから、この世の中無意味なことなんてない
というのはあながち気休めなんかじゃない。というか、無意味なものはあったとして無駄ではない。これを一番伝えたかった。
「なんとなく」という直感的なこともばかにできないと思う今日この頃。
2018年01月08日
さぼり魔の反省と決意
あけましておめでとうございます。

昨年もまたインプットばかりになってしまった。特に身体への関心に偏っていた。身体の自由度を高めることで感受性や表現力が豊かになるのではないかとちょっとした希望(期待)を抱いたからだ…。
他者に対するアウトプットがわたしには決定的に欠けている。
文章を書くことは好きだ。絵を描くことも。恥ずかしがりな性分もあってか、時々無性に内側に溜めたものを表現したくなる。で、冷静になってこれは人様に披露できるもんじゃないなと恥ずかしくなる。笑
つい最近ひらめくようにわかったことなのだが、
人と向き合う上で上手にバランスを取るためには
アウトプットを習慣化することもひとつの方法なのかなと。あくまでもわたしにとっては。
身近な人へ無意識に理解を求めてしまうことから解放されたい。
今年は優しさを磨く年にしたい。そのためにはどうしたらよいか、バランスの取り方を身体で覚える。溜めない。流れる。
鬼は外、福は内な感じでやっていこう。
ということで、今年こそよろしくお願いします。

昨年もまたインプットばかりになってしまった。特に身体への関心に偏っていた。身体の自由度を高めることで感受性や表現力が豊かになるのではないかとちょっとした希望(期待)を抱いたからだ…。
他者に対するアウトプットがわたしには決定的に欠けている。
文章を書くことは好きだ。絵を描くことも。恥ずかしがりな性分もあってか、時々無性に内側に溜めたものを表現したくなる。で、冷静になってこれは人様に披露できるもんじゃないなと恥ずかしくなる。笑
つい最近ひらめくようにわかったことなのだが、
人と向き合う上で上手にバランスを取るためには
アウトプットを習慣化することもひとつの方法なのかなと。あくまでもわたしにとっては。
身近な人へ無意識に理解を求めてしまうことから解放されたい。
今年は優しさを磨く年にしたい。そのためにはどうしたらよいか、バランスの取り方を身体で覚える。溜めない。流れる。
鬼は外、福は内な感じでやっていこう。
ということで、今年こそよろしくお願いします。
2017年04月16日
軸
本当にブログを書くって難しい。
思いつくまま書くとダラダラと日記のようになってしまう。
こんなこと誰が知りたいのかしらなんて、書いてる途中で考え込んでしまって結局消してしまう。
でも、わたしは他人が何を考えてるか知ることは結構好きだ。みんな、こんなこと考えて暮らしてるのね〜なんて思う。
そして、この前思いついたことはわたしは等身大の暮らしみたいなことを書けたら、それはそれでブログの軸になるのかなと。
休みの日は旬の野菜を道の駅に買いに行ったり、天気がいい日は歩いて通勤したり、
長野県でこんなふうに暮らしてる20代もいるんだってわかる記事を書けたら、少しは有意義なものになるかな。
絵を描いたり、料理を楽しんだり、旅に出たり、本当に毎日発見があっておもしろい。
そういう毎日の発見とか初めて知ったことを書く場所にすればいいよね。
それがわたしのできることだろうか。
ということで、最後に最近の癒し。

野菜の葉っぱを育てること。
盆栽みたいなやつや無人島みたいなやつやすくすく育つのがもはや愛おしい。
野菜を食べてるってことはこのエネルギーを取り込むってことなのかと感動しつつ毎日お水を換えてます。
思いつくまま書くとダラダラと日記のようになってしまう。
こんなこと誰が知りたいのかしらなんて、書いてる途中で考え込んでしまって結局消してしまう。
でも、わたしは他人が何を考えてるか知ることは結構好きだ。みんな、こんなこと考えて暮らしてるのね〜なんて思う。
そして、この前思いついたことはわたしは等身大の暮らしみたいなことを書けたら、それはそれでブログの軸になるのかなと。
休みの日は旬の野菜を道の駅に買いに行ったり、天気がいい日は歩いて通勤したり、
長野県でこんなふうに暮らしてる20代もいるんだってわかる記事を書けたら、少しは有意義なものになるかな。
絵を描いたり、料理を楽しんだり、旅に出たり、本当に毎日発見があっておもしろい。
そういう毎日の発見とか初めて知ったことを書く場所にすればいいよね。
それがわたしのできることだろうか。
ということで、最後に最近の癒し。

野菜の葉っぱを育てること。
盆栽みたいなやつや無人島みたいなやつやすくすく育つのがもはや愛おしい。
野菜を食べてるってことはこのエネルギーを取り込むってことなのかと感動しつつ毎日お水を換えてます。
2016年10月15日
朝粥

手軽に中華粥。
さつまいと玄米。
しみるよ。やっぱりすき。
止まらない食欲に振り回された胃腸たちがつかの間のやすらぎを覚えている。であろう。
ちゃんと作ろうと思ったら3時間くらいかかるみたいだけど、一体どんなタイミングで作るんだろう。いや、どんなタイミングで食べるのかしら。わたしはやっぱり朝食べたいけど。
明日は本格中華粥を作ってみようかな。
2016年10月14日
日課

気がつくとよく空を眺めている。
空を眺めているときは無心になれる。
単純に美しいと感じる。
それだけのことで元気になる。
わたしは真っ青な空の色にうれしくなる。
それから甘そうな夕焼け、ぼやけた月、二重の虹を見つけたときも。
そして、勝手にはしゃいで、もし自転車に乗ってたら年甲斐もなく立ち漕ぎしていつもより遠回りして家に帰りたい気分になる。
変態なのか。おめでたいのか。
2016年10月04日
はじめてのりんご酵母

待ちに待った秋。大好きなりんごの季節到来です。
清々しく晴れ上がった青空を見ると出掛けないともったいないと思ってしまいますが、雨降りが続くと堂々と家でくつろげます。
台風は秋の季語。雨降りは家にこもるのが一番。
ということで、いつもより手間暇かけて色々してみようと思い立ちました。
まず果実酒を仕込んだり

(洋梨×ホワイトリカー)

(りんご×ホワイトリカー)
初めてりんごから酵母を作ったり

こんな具合にエネルギーのほとんどを飲むこと食べることに向けながら秋を楽しんでおります。

りんご酵母5日目
蓋を開けた瞬間にしゅわしゅわしゅわっと泡立つ。
酵母たちにとっても愛着が湧いてしまって、りんご太郎と名付けて毎日話しかけて育てています。少し飲んでみたけど、味は、ないに等しかった。
秋がこんなに楽しい季節だったとは気づかなかった。
短い夏が終わってしまったのは悲しいけど、冬になるまで秋を満喫しよう。