2018年09月18日

奥会津滞在記



昼間ばたばたと働いていると脳の切り替えが難しい。
時間がありすぎると本も手に取らなくなる…。
本を読んでいない脳では、何か書き留めようと思ってもなんだかまとまらない。

が、この島に来る前に会津の山間の小さな町で過ごした一週間をまとめておこうと思う。
なぜ奥会津を選んだかというと以前車で通りかかった際にもう一度来る場所だと思ったからだ。

静かな駅を降りて、宿まで歩いていくと
角から小学生が飛び出してきて
大きな声で挨拶をして走り去っていった。
小学生に限らず、道で会う町の人はみな挨拶を交わしてくれてた。
気さくな人が多い場所だった。


(アーチ3兄弟)

わたしはほとんどの時間を宿のおばあちゃんと過ごした。
おばあちゃん一人で切り盛りしている宿で
1週間の間、他の泊り客はいなかった。
大忙しの盆休みが終わって
やっとこれから自分が休めるというときに
わたしからの電話を受けてしまったのだった。


(雨上がりの幻想的な只見川)

会津の山や自然を嬉々として語るおばあちゃんの横顔が非常に美しいと思った。



朝飯を一緒に食べて
わたしはそのあと気ままに散歩をして
帰るとお茶に呼ばれる。
ふたりして眠くなって涼しい部屋で昼寝をする。
それから温泉へ連れてってもらって


(早戸温泉 鶴の湯)

帰ってきて一緒に晩酌をする。


そんな穏やかな毎日はあっという間に過ぎて
出発の日の朝、もう一晩いたっていいんだよという
さみしそうな顔に胸を締め付けられた。
ああ、これからこういうことの繰り返しかと後ずさりしたくなった。



別れというのは慣れないものだ。
おおげさにしんみりするのも好きじゃない。
だから、わたしはいつも「またね」といってしまう。
また会えるのが1年先なのか10年先なのかわからないけれど、
わたしは本当にまた会えると思って、いうのだ。
わたしもまた会いたいと思ってもらえる人間に…なんてね、
そんなこと願ったて叶うもんじゃない。
会いたい人が増えることを受け入れるだけである。ただひたすらに。



  


Posted by のんた at 21:33Comments(0)雑感旅行記

2018年09月06日

新しい場所で新しい暮らし


当面は八丈島にいる。


この一週間、
新天地で不慣れなことばかりだった
けれど、暮らすには至って快適で
相変わらず毎日温泉に通っている。

今日は初めてのお休みでやっと文章を考える余裕が出てきた。
新たなに作ったSNSのほうが手軽なので
そちらばかり更新している。
前から薄々思っていたけど、ナガブロなのに長野の内容じゃないし。
長野県出身者の書くブログ、略してナガブロって意味でもありなら…とも思うが。。
とはいえ、過去の記事が誰かの役に立っているようだし、このまま引き続き残しておく。なかなか人がレポートしていない場所を記事にしていることもあるから、そういうの探してきていただくこともあるんじゃないかと思う。
ていうか、ほとんどそれじゃないか?と思ったり。

どういう軸でこちらを更新するか、
または完全に移行してしまうか、
悩む。










  


Posted by のんた at 21:08Comments(0)雑感旅行記

2018年06月30日

ねこに絡まれて遅刻しました。




昨日、飲み会へ行く途中に

物陰から急に現れた子ねこがとことこ向かってきて

わたしの足の周りをぐるぐる回っていた。




黒ねこを見るとゴンタと呼びたくなる。

なんかゴンタっぽい。

帰りに同じ場所でまた現れて

やっぱりゴンタは足の周りをぐるぐる回っていた。


でも、わたしは猫アレルギーなのだ。

気持ちに応えることはできない。

すまんな。ゴンタ。









  


Posted by のんた at 11:40Comments(0)雑感

2018年06月14日

ガラスの瓶が捨てられない

香港で買った李錦記のオイスターソース。
帰ってきたら西友にも売ってた。
そして、今日やっと使い終わった。

長きに渡って賞味期限の切れたソースを秘めていた瓶は、今日新しい使命を授かった。



ミニトマトの栽培セットにぴったりだったのだ!
今までは日本酒の青い瓶に入れて育てていたのだが、しっくり来ない色合いが気に入らなかった。

しかし、この李錦記の瓶
いかにもチャイナってところが旅情を感じていい。素晴らしい統一感。香港の気だるい空気が漂っているようで、大変気に入っている。
  
タグ :香港


Posted by のんた at 18:22Comments(0)雑感

2018年06月11日

ゆかいなご近所さんたち

夕方、仕事から帰ってくると
「おかえり」といってくれる近所の男の子がいる。
仕事に行くときには「どこへ行くのと聞いてきて
必ず「いってらしゃい」と手を振って送り出してくれる。


先日久しぶりにスカートで出かけて帰ってくると
道で遊んでいた例の男の子がさっと近づいてきて
素早く足に抱きついて「どこ行ってきたの」と聞く。
未就学児童にして、なんという早業。
というか、反射神経。
あっぱれと思って頭を撫でて
「車に気をつけなさい」といった。
人の中身は大人になっても変わらぬものなのだな。
彼が女の子を泣かせる生き物にならないことを願うばかりである。

それから、大家さんのところへいって引っ越しの報告をした。
「大家さん、わたし引っ越すことになりまして。」
「ええ、よく聞こえなかったんだけど、おめでとう!」
「(!)いえいえ、全然おめでたくないですよ。引越しを・・・」
「寂しくなるねえ。うれしいような、かなしいような。でも、仕方ないね。またどこかで会うことがあったら声を掛けてね。」

・・・。

わたしの声が小さく滑舌が悪いために
誤解を解く暇も与えられなかったようだ。
しかも、引っ越すのはまだ少し先なのに。
最後はお祝いの言葉のみならず、お裾分けのスイカまで頂いてしまった。
そこでわざわざ訂正するのも無粋なように思えて、そのまま帰った。
話が大きくならないといいが・・・。

夜は近所の居酒屋さんへ行って、
楽しい時間を過ごした。



帰りには野菜と納豆と温泉たまごを持たせてくれた。
わたしはこういうときに全然遠慮しない人間である。しかしどうやら、「いえいえ」とか「とんでもないです」とか遠慮する素振りを見せるのがきちんとした大人らしいということに数年前気づいていたが、今でも気づかないふりをして堂々と喜んで頂いている。人間は素直さが大事だと思うのである。


(おかあさんから妙にリアルなカエルの置物をもらったこともある)

次の朝、その店のおかあさんと温泉で待ち合わせた。おかあさんには決まった時間があってささっと上がってしまったが、帰り際に「お金払ったから牛乳飲んできなね」と笑顔で帰っていった。
やはりここでも遠慮せず「ありがとう!」と喜んで頂いたが、内心おかあさんわたしの面倒見過ぎであるとちょっと思った。
わたしもおかあさんのような大人になりたいと思う。


ゆかいなご近所さんたちに
もらってばかりの人生だ。





  


Posted by のんた at 20:47Comments(0)雑感ビールのある風景

2018年06月07日

「異界出現」東京都写真美術館




東京で友人と会う約束をして
ついでといってはなんだけど、
何かおもしろい展覧会あるかいなと調べたら
あるある、あるじゃないか。

東京都写真美術館
内藤正敏「異界出現」

異界という響きが怪しさを感じさせるが、
科学的に理解できないことへの興味というより
異界や境界の構造への興味。

去年の12月は、ミッドタウンにある21_21 DESIGN SIGHTの「野生展:飼いならされない感覚と思考」に足を運んだけど、「飼いならされない」ってところがどストライクで、ぜひその術を会得したいと思った。単にかぶくのはしっくりこない、しなやかな生命力を持って生きていきたいのだ。なんだか抽象的で壮大な話になってしまったけど、希望どおり生きていくためのヒントが異界や辺境にあるんじゃないかと思っていて、そういうものに興味を惹かれる。

それで、最近手に取った本で『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』はおもしろかった。内容もさることながら、丁寧な注釈をつけているところがとても知的。
ノンフィクション作家の高野秀行さんと歴史家の清水克行さんの対談をまとめた本なのだけど、二人の視点から浮かび上がる辺境像は今までの固定観念をぶっ壊してくれるもので、大学の講義と同じくらいわくわくさせられた。と同時に、中にはついていけないやりとりもあるのでまだまだだ勉強が足りないとへこんだ。前回の『世界の辺境とハードボイルド室町時代』もおもしろかったなあ。

ずいぶん前置き(?)が長くなってしまったが、
本題の展覧会もなかなかディープな異界を垣間見た気がした。
中でも人を写した写真は、はっとするような臨場感があった。
特に70年から80年代の東京を写した写真が印象深く
深いしわの刻まれた浮浪者の顔は不思議な生命力を放っていた。
浮浪者や見世物小屋を切り取った一瞬から時空間の異なる東京が立ち現れる。

そして、そんな過渡期の東京の写真に囲まれていると
以前読んだ本で
山田泰司の『3億人の中国農民工 食いつめものブルース』を思い出した。
都市の発展を支えた農民工が排除されていく上海の実情を
ひとりひとりの事情を通して浮き彫りにした本であったと思う。

個々の世界観に触れることで
都市の歪みやそこで生きる人のたくましさがリアリティを持って迫ってくる。
この展覧会もまさにそんな感じで
研究者としての視点を通して
視覚的に異界を追体験できた。
本を読んでいるだけでは見過ごしてしまう気づきがある。

頭の中では
話に花が咲くように
一つの事柄から派生していき、
しばし異界の旅を楽しんだ。



  


Posted by のんた at 18:06Comments(0)雑感

2018年06月01日

長旅の予感


新卒で入った会社を辞める。

結婚するからでもなく、
人間関係がいやなわけでもない。
ただ、今の環境に安住してはいけないと思ったからだ。
バイタリティと仕事内容が同期していないとは常々感じていて
仕事と同期させる必要もないんじゃないかと思っていたが、
週の5日は仕事してるわけで不完全燃焼の人生がなんだか恐ろしくなった。



空をみて「ああ、きれい」と思える毎日は尊い。
そんな暮らしを愛している。
そこそこ稼いで休日に旅に出る。
はじめはそれが自分に実現できる最良の生活だと思っていた。
でも、夢中になれる仕事をしたいという願望に気がついて
この際、地域にこだわる必要もないかと全国を股にかけて転職活動をすることにした。

それはいいとしても、全国というのは範囲が広すぎである。
旅先で住みつくというのがわたしの夢で
今まで休日にこつこつ旅をしていたのも、根を下ろす場所を探していたからだが、
どこへ行ってもその土地の良さがあり、住んだら楽しそうだと思った。
逆に「ここだ!」という特別感銘を受ける経験をしていない。
だから、やっぱり絞りきれない。
しかし、今住んでる地域の良さは他の地域で暮らしてみてはじめて、
わかるものなんじゃないか?と自問自答する。
確信を持っている人はそれでいい。
そもそも職種から決めろよと思う人もいるだろう。
それもそれで悩むところである。
何事もやってみなくちゃわからない。
優柔不断というより思慮深いと思ってもらいたい。

着地できなかったらどうしようと
先のことを心配するよりも
自分を信じて
今、一番わくわくすることをしよう。


  


Posted by のんた at 22:55Comments(0)雑感

2018年05月31日

信州に暮らすということ

仕事を辞めることにした。
いざ、ここから引っ越すとなると
名残惜しく
愛着を持っていたんだなあと実感する。

どんなところが名残惜しいかといえば、
ほどよく自然に恵まれているところだ。
おかげで素晴らしくすこやかな毎日を送ってきた。

たしかに海はないけれど、
台風はほとんど来ないし、湿気も少ない。
晴れている日が多くて、空がきれいに見える。
穴場の温泉がたくさんある。
朝、温泉に入ってから出勤することだってあった。
上がってから夜風に吹かれて家に帰る時間も好きだ。
それから、果物がおいしい。すいかも桃もりんごも
やっぱり長野県産のものが格段に味がいいと思う。
引っ越す場所によっては
大好物のワッサーとネクタリンが気軽に食べられなくなる・・・。
新鮮な野菜も安く手に入る。
直売所に旬の野菜を買いに行くという休日の楽しみ。
そうだ、ツルヤは長野県にしかない。
ツルヤには品質、価格、品揃えともに絶大な信頼を置いている。
とりあえず、ツルヤブランドを買っておけば間違いないと盲目的に信じきっている。
都内のスーパーでしなしなの野菜が倍以上の値段で売っているのを見ると
一体どこでまともな野菜が手に入るんだろうと思う。
長野県の風土が料理する楽しみを支えているのだな。
料理するのが楽しい街か。いい響きだな。

陸の孤島といわれることもあるが、新幹線のおかげで
思い立ったらすぐに東京へも行ける。
だからなのか、昔から東京に夢も憧れもなかった。
じめっとしていて猥雑で窮屈で変な匂いがする街。
東京の街のおもしろさとか奥深さとかは大人になってからわかった。
積極的に暮らしたいとはやっぱり思わないが。

と、ここまで信州への溢れる愛を綴ってきたが、もちろん万能な土地ではない。短い夏が終わると長い冬(極寒)が訪れる。車がないと不便だし、新鮮な海の幸はない。盆地気質でシャイな人が多いように思う。

それでも、引越しの日が近づいてくるたび、信州での暮らしが輝きを増す。
半年前まではこの暮らしを劇的に変えることなんて考えもしなかった。
まあ、ぼんやりといつまでもこのままじゃいかんなと考えることはあった。
結婚がちらついても現実味がなかったのに
2ヶ月前、自分の意志で退職を決意して引っ越すことを決めたことがなんだかとても不思議だ。


サンルームの窓辺。
気持ちいい風が吹き込んでくるお気に入りの場所だ。
こんな最高な物件、また見つけられるだろうか。



  


Posted by のんた at 18:13Comments(0)雑感

2018年05月10日

改札に佇む

名古屋駅改札にて。
この日は人を待つために改札口の近くにしばらく立っていた。
はしっこのなるべく通行の邪魔にならないところで。
存在感を消すように。
普段はただ旅行者として通り過ぎるだけで
気にも留めなかったが
立ち止まってみる改札口はなんと忙しなく
困っている人に溢れた場所なんだとしみじみ実感した。

きっと一日に何度も同じ質問を受けるであろう駅員さん。
問題が解決するとお礼もそこそこに去っていた女性。
改札が開かずあたふたする親子。
次から次に困っている人が現れる。
なかでも厚かましい人は目を引くものだ。
退屈なテレビ番組よりずっとおもしろい。
あんなふうになれたらと思うのか?
あんなふうにはなりたくないと思うのか?
ひょっとしてすでにあんなふうなのか?

通り過ぎていくたくさんの人が自分のように見えて
不思議な気持ちになったので、記念にぱしゃり。
わたしは透明人間になったような気分だった。
誰も自分が見られているとは思っていない。


なんの変哲もない写真。

そんな何の変哲もない写真を撮っている人を
不思議に思って見ている人がいたかもしれない。

  


Posted by のんた at 12:34Comments(0)雑感

2018年05月01日

至福の時間


今夜は月が明るくてうれしい。
明るいからってなにがあるってわけじゃあない。
電気を消した部屋いっぱいに月の灯りが入ってくることがなんだか特別な気がして、うれしい。

ひとりで自然の移ろいを感じている時が一番心が安らぐ。夜が明けていくのを眺めたり、雲の流れを眺めたり、ほぼ癖になっているわけだが、ふと何を考えていたのかしらと我に返る。なんのためにかは分からない。なにを生み出すわけでもない。音に耳を澄ませたり、眺めたり、温度を感じたり、ただもうそれだけ。
だから、霧なんて最高よ。シトシト辺りを湿らせる音がして、目の前を水蒸気が流れていって、いつの間にか晴れちゃう。



この楽しみはあまり人に言ったことはないけれど、おんなじような人どのくらいいるのかな。
たとえば、今夜のように明るい晩に窓際に敷いた布団から月を眺めてほくそ笑んで眠りにつく人。
この時間がしあわせ。


  


Posted by のんた at 00:03Comments(0)雑感